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四方山話

担任に対する思いやりや敬う気持ちを育てることなく指導を受けている子供たちは、担任や学校の先生に留まらず、間違いなく大人に対して対等意識を持つようになります。
その意識は幼さ故、増長して大人に対する挑発的な態度を取るようになることがあります。
ケンカ腰なその態度が如何に恥ずべきことか、教えられることのない不幸を憂うばかりです。数年前に私が経験した事例をもとに検証してみたいと思います。

その日は、さわやかな風が心地よい初秋の一日であったと記憶します。
遠足からの帰りに電車を利用した時のことです。シーズンと言うことで、他校の児童達と列車に同乗することになり、双方の団体の一部が同じ車両に乗り合わせました。残念ながら、この状態になった地点で何かトラブルを心配させてしまうのが、都市部の学校教育の現状です。

案の定、私が担任していた男子児童が、他校の児童から風貌について揶揄されたとの訴えがありました。
その子は、少々色黒で目鼻立ちのはっきりした彫りの深い顔立ちです。
訴えを要約すると、一方的にインド人みたいとからかわれたというものでした。日頃から、体のことは言ってはいけないことだと指導を受けている子供たちには、そのからかいの行為はなおさら許されないものだったのでしょう。

控えめに相手校の先生に事情を説明し、事情を聞き取らせてもらう許可を得て同席の上、そのからかったされる児童に話を聞いたのです。
そして、インド人ではないこと。
また、その物言いはインド人の方に失礼であること。
からかう行為はよくないことを、決して高圧的にならぬよう慎重の上にも慎重に配意しながらその児童の担任の先生とともに伝えたのです。

時間的な制約のある中での指導にはかなりの困難がありました。
形だけかもしれませんが、なんとかお互いに和解をさせるところまでこぎつけたのです。

やれやれと胸をなで下ろし、もうこれ以上接触しないでくれと本音で思っていたのです。
車内は寿司詰めではないものの混雑で、気分を悪くする児童がおり、外気を入れようと窓を少し開けてやったのです。

そうこうするうちに下車駅に着き降りようとしたときのことです。その光景の一部始終を見ていた他校児童のその他大勢の中に、いかにもふてぶてしく足を投げ出すように腰をずらして座る男子小集団がありました。その内の一人が如何にも挑発的でにやつきながら「開けたら閉めて行かなあかんと違うんか」と、聞こえよがしに叱責するのです。
降り際の時間的な制約から、反撃を食らうことがないと計算しつくしたあまりに幼い、しかし十分に攻撃的な行為です。思わず、大人げなくその声の主の方を睨み付けることしかなすすべはありません。その子の担任の先生であろう方もこちらの表情と見比べるように、視線を双方にやりながらもうやめなさいと小声で諭しておられましたが、その雰囲気から察するにその小集団を形成する男子児童達に手を焼いておられる様子でした。

その小集団は、私がインド人と揶揄した児童を指導する姿を一部始終見ていて、敵討ちを果たしたかったのでしょう。
素晴らしく増長した仲間意識です。
校外で、他人の大人にということは、つまり社会に対して何も恐れることなく対等に振る舞おうとすることです。
もしかしたら、その児童達は担任に対する思いやりや敬う気持ちを育てられるどころか、乗り越えてしまった不幸な境遇に位置していたのでしょう。

この事例はかなり極端ですが、前回述べた「子供同士の感覚を社会に持ち込まないこと」「子供たちが持っている対等意識は社会の中では思い上がりであることに気付かせること」が、つまりは自分の身を守ることであること。
いろんな意味で社会はもっと怖いものだということを経験してから学ぶのでは遅いのです。
事例の彼らも、もうすでにどこかで頭を打ったかもしれません。

学校という温室で自由奔放に、我が身の自由を謳歌している子供達の姿を多く見てきました。
私達社会人はもっと控えめに暮らしているという事実を、自分ではない人を尊重し、敬意を持って接している事実を、教室や学校で再現してみせることが必要だと思います。
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教室の壺

教室には身体の「ツボ」同様、押さえどころがあります
長年の経験と蓄積したつもりのノウハウを週1回の更新で公開して行きます

さて、子供達の様子で…
 授業中の私語がやまず、よく注意をしている
 イジメとまでは言わないが、もめ事がよく起こる
 力関係が子供達の方が上であるように感じる
 言葉遣いや態度が乱暴である
 主体性や意欲的な態度が欠ける気がする
 子供達への指導が入りづらい

                            …などなど

特に、女性教諭のみなさんに、こういう印象をお持ちの方は多いのではないでしょうか
それは、女性教諭の指導力に問題があるのではなく、同僚の男性教諭の無理解であったり、土着の風土のなせる技であったりもします
まさかそんなことと思われたかもしれませんが、そんなことにもこのブログで触れて行けたらと考えています
また、上記の状況を一気に解消させる魔法はないかもしれません
しかし、徐々に好転させる指導法はあります
それが、私の提唱する待つことによる指導「待ちの指導法」なのです
「待ちの指導法」は、聴くことを最も大切にする指導法です
そして、他との協調を重んじ、先生を敬う気持ちを育むことを基本理念としています
あっさり言ってしまえば、今までの教師と子供の関係性そのものを見直すべきであるという考え方の上に成り立っていると言えますが…
とにかく、大それたことを言うつもりはありませんが、少しでも日々の指導に悩んでおられる先生方の一助となれればと思っています
なお、小学校現場を中心に述べていますが、理念的なことは小学校に限らず当てはめられると考えています

さて、その待ちの指導法でこんなことが可能になるのです。
学年集会であろうが、遠足であろうが、とにかく学年全体が集まって、何某の活動に取り組もうとしている。場所は運動場、朝一番に集合と仮定します。集合の場所と時刻を伝えられている子供たちは、学年の先生達がまだ誰も出てきていないにもかかわらず、自分達で並んで列を整えて座り、姿勢を正して前を向いて待っている。そこへ、先生が出てくると、誰からとは言わず口々にあいさつを言い、またすぐ静かに聴く姿勢をとる。
そして、中心指導を担うであろう先生が、太陽の向きや風向き、周囲の喧噪の状態などに配意して位置を変えると、その歩みに合わせるかのように集団が座ったまま、微動微動を繰り返しながら向き直る。先生は、定刻通りに話し始め、今日の目的や注意点など要旨が伝わると質問の有無を尋ね、集団は目的の行動に移って行く。
如何ですか。こんなことは、小学校では不可能でしょうか。
いいえ、実はこの光景は、私が実践している待ちの指導を行った集団の姿なのです。もちろん、集団が初めからこんな姿を見せるわけがありませんし、学年当初から先生に対して反抗心をあらわに持ってしまっていたり、何のしつけもなく四、五年間小学校生活を過ごし、高学年になって初めて待つことによる指導を受けるなど、様々な要因が重なって一年かかっても、ここまでの育ちを見せない場合もあります。たとえ、そうであっても、先ほどの姿を理想として、この姿にかなり近いところまでは育ちを見せることは事実です。

次回は12/4(日)更新
「待ちの指導法」




待ちの指導法

教室の壺

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待つことで子供の自主性を育む
『待ちの指導法』の紹介です
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