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なぜ、誉めるのか

誉めて育てるとよく言われます。 
確かに、叱られてばかりではやる気をなくしてしまうどころか、反発の元となりかねません。しかし、だから誉めてちやほやするでは、話になりません。一般的に誉めるということには、自己の肯定感や有益感などを養い、自信を持たせたり、意欲増進を図るねらいがあると言われます。

しかし、本書の主題の一つである『師弟の一線を引く』観点では、ちょっと違った角度から誉めるという行為をとらえます。なぜ、師弟の一線を引くのかの項で、良い意味での甘えの関係は、教育活動の潤滑油の役割を担い、先生が上に立ち、その下に子供たちがいるという関係が教育の出発点であり、この関係なくして、教育は成り立たないと申しました。

そして、ここでは誉めるという行為は、目上の立場から目下の立場に行われるもの だととらえているのです。
一般社会においても目上の方に対して、誉められないわけではありません。
しかし、誉める行為とは、誉める側が誉められる側の行為を価値判断して一定の評価を与えて認めるということです。
学校社会で、子供たちが先生の行為に対して価値判断をして、何らかの評価を与え誉めると言うことはない、と言って良いでしょう。
それが証拠に、私は長い教職経験の中で、子供から誉められたことは、一度たりともありません
先生にとって誉めること自体が、上位者としての立ち位置を確立し、子供たちにとっては誉められることで、先生に対する敬愛の念をより一層深めさせると言えます。そして、それは教育に欠かせない良い意味での甘えの構造を支えるのです。

わかりやすい一例を、ご紹介します。

ある時、若い同僚の先生が、何故誉めることが大切なのか、という質問をしてきたことがあります。その時に、私はこう答えました。
「では、先生、私を誉めてみてください。」
その先生とは、年齢で一回り半は離れています。日頃から、いろいろと子供への指導の方法を伝えていましたし、ありがたいことに伝える内容に、納得して下さっている様子でした。だから、私の知識や方法論を、誉めようと思えば誉められたはずです。しかし、その先生は私を誉める代わりに、次のようにおっしゃったのです。

「いいえ、そんなおこがましいこと、私にはできません。」

そうなのです。
日頃から、いろんなことを教わっている先輩の先生を誉めること自体、はばかられるのです
先輩、後輩の関係でこれですから、これを先生と子供の関係に置き換えてみれば、誉めることの持つ本当の意味が見えてきます。

つまり誉めること自体がいい意味で上位者である先生の専売特許であり、誉めること自体が先生の立場を確立させていると言っても過言ではないのです。子供たちの行為に価値判断を下して何らかの評価をする行為そのものが、良い意味で彼らの上に立ち、その間に一線を引くための必要条件となるのです。
ただ、もちろん誉めること自体にこういう意味合いがあると言うことを、そして、そう言う意図を含ませて誉めていることを子供たちが理解しているわけではありません。それでも、誉めてくれる先生に好感を持ち、慕うようになることからも、直感的もしくは本能的に、そのことを理解したり感じ取ったりしているのかもしれません。

人は弱い者です。ましてや子供ですから、誰にも評価されない環境下では、なかなかよき行いを実践しようとするのは難しい面があるのです。誰かに見られていて誉められたい。これが子供たちの本音でしょう。そして、友達が誉める立場にいないことも事実ですから、やはり先生に認められ誉められたいのです。
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