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誉めて育てるとは


親であれ先生であれ、大人が子供を教え育てる目的は、対人関係をよりよく行い、集団行動をより適切にとれるよう導くためです。その営みは、子供達に社会性を身につけさせるためと言い換えることができます。

社会性とは、複数の人が集まる中で対人行動や集団行動をより適切に行う技能を身につけた結果、表現される行動様式です。
その行動様式は、人が様々な体験から学びとり積み上げてきた経験の度合いによって決まります。
子供達の場合でも、様々行う日々の事象の中で自らが取った言動から成功事例を記憶し、次回の行動様式にすべく備えとして蓄積します。
そして、新たに遭遇した前回とよく似た事象にたいして、備えとして蓄積していた経験値から最適の表現方法を導き出す。結果、適切に対処できるようになるのです。
われわれは、子供達の言動に価値判断を行い誉め認めることで、成功事例としてその記憶に刻む指導をしているといえます。

また、「誉める」ということには、その言動を繰り返して表現してよいという示唆が含まれています。
つまり、誉められたことには再現性がある のです。
そうして、誉められたことを再現させ、また誉められることによって追認される。
そして、その再現性は積み重ねることによって行動様式として定着し、社会性となって形成されるのです。
これが、誉めることによってのみ社会性が培われる所以です。

反対に、叱ることはどうでしょう。

「叱る」ということには、誉めることとは正反対にその言動を繰り返して表現してはいけないという示唆が含まれています。
もちろん、何度言って聞かせてもわからないという場合はあるでしょう。そういう誤って再現してしまったときには、また叱られて再度の表現を禁止されるはずです。
つまり、叱られたことには再現性がない のです。

このように叱る行為は、誤った言動を行わせないようにすることですから、経験値として蓄積されるものはないといえます。平板に言えば、叱るだけでは再現してならないことはわかるけれど、何を再現させればよいのかがわかない状態に陥るのです。もちろん、してはならない言動を繰り返させないことが目的ですから、叱ることも必要です。そのこと自体を否定しているのではありませんが、叱るならばどこに戻ればよいかという地点を示してやらねば、子供達は堕落の道を進むことになります。

誉めることと叱ることは車の両輪ですが、誉めることによってのみ、成功経験は蓄積され社会性は培われます。反対に、叱ることによって社会性に結びつく経験値の蓄積はないといえます。
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