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「やられたら、やり返えせ」にどう対処するか

やられたらやりかえす。
報復や復讐といったいわゆる仕返しを正当化する場合への対処法です。

言われたから、言い返した。
叩かれたから、叩き返した。
特に前者の場合は、正当な場合もあるでしょう。

しかし、一般に暴力の場合、報復には負の連鎖がつきもので、最終的には殺りくまで行き着きます。
もちろん、子供たちの世界でそこまで連想することは無意味に近いですがないとは言い切れません。
とにかく、やられたらやり返してもよいという価値観は、日常茶飯事に顔を出します
家庭で、この価値観に保護者がお墨付きを与えてしまっている場合もあります。
そういう間違ったしつけを受けて育ってきた場合は、悪びれず報復に出てはばかりません。

更に、やられたから仕返したと、自分の行動を正当化してしまっている場合は、仕返しという身勝手な大義の下、受けた暴力以上に輪をかけて攻撃してしまっていることもよくあります。単に言いがかりをつけ、一方的な暴力を仕返しと銘打って、粗暴な行動を繰り返す場合だってあり得ます。

なぜなら、暴力行使は強者の論理だからです。
仕返しもそれが暴力である以上、強者にしか行使できないのです


暴力的に強い立場の者が弱い立場の者に対してしかできないのが、やられたらやり返してよいという暴力的な仕返しの本質であり、弱者が強者に暴力的な仕返しを制裁として加えられるわけもありません。

保護者の間違った価値観の下のしつけはやっかいです。

また、そういう価値観の下に育てられた子供たちは、自らの行為に正当性を認めていますから、謝ることに抵抗感を持っていることが多いものです。
この抵抗感がある以上、和解は難しくなります。
そこで、「やられたら、やり返えせ」と教えられている事実を逆手にとって「謝られたら、謝り返せ」という価値観を追加するのです。それが仕返しと銘打って行使したと主張する暴力ならば、その仕返しの原因だと主張する部分について、本来謝罪の必要もないと思える弱者側が真の勇気を発揮して、たとえばそこの部分は自分も悪かったと謝ったならば、自らの行使した暴力行為を恥じて謝るのは人として当然でしょう。
暴力を背景にした強者は卑怯者ですが、和解を選択すべく謝意を表す強者は勇者です。

やられてやり返すことを認めるわけにはいかないが、それを主張するならば、最低限「謝られたら、謝り返す」ことも条理であると説くのです。

さて、この条理の教え先ですが、子供にはもちろん保護者にも教える必要があります。
やられたらやり返すことをまるで権利といわんばかり一徹に主張する保護者を変えることは難儀を極めます。
間違った価値観を認めてしまってはいけませんが、大人の意識変革は一朝一夕になせる技でもありません。

そこで 「やられたら、やり返す」を権利として子に教えるならば、
「謝られたら、謝り返せ」と教えるのも親の義務であり責任
ではないかと説くのです。

学校と家庭が真逆のことを教え続けたら、おそらく子供は家庭の教えを選択します。
子供たちに伝える内容は、保護者も納得出来るものであることが望ましいことは当然です。
根本的な解決には、個人の意識の変革を待たねばならず相当の時間がかかるとして、当面の対処としての付加価値は大きいと思います。
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